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新しいふるさとづくりを目指した「まつり北九州」

「わっしょい百万夏まつり」のルーツである「まつり北九州」の発想は、1972年(昭和47)公害委員会の会議の中で生まれた。旧五市意識を払拭する、北九州市民が一つになるような全体的な広がりをもった新しい祭りを、北九州JCが中心となって作り上げようというのが主目的であった。

「北九州の祭り」事業が、1973年にスタート

1973年にJCデー統一事業として「北九州の祭り」事業がスタート。“北九州の心は一つ、ふるさとをみつめよう”をテーマとした記念すべき第1回まつり北九州“ふるさと再発見”だった。

1万人余の観衆の熱気に包まれた「第1回まつり北九州」

1973年9月1日午後6時、「第1回まつり北九州」は、小雨が降る中、小倉球場で幕を開けた。林田理事長のゴーサインで、バトンガールを先頭にブラスバンド、トランペット鼓隊、そしてマーチングバンドが続き、華やかな色彩とリズミカルな音の競演に、1万人の大観衆は、一瞬のうちに興奮の渦に引き込まれた。勇壮華麗な黒崎祇園山笠、そして今まで戸畑から出ることのなかった戸畑の提灯山笠が登場。そして迫力の970発の花火に会場は大きくどよめいた。

新しい祭として、次第に浸透

「まつり北九州」を継続して毎年開くかということで、毎年激しい論争となったが、回をおうことに高まってきた市民の期待感、そして北九州市を心から誇りにし、愛し続けるふるさとにしたいという会員の熱意が祭り事業を継続して行う原動力となった。

北九州市に「まつり北九州」をバトンタッチ

中央銀座通りでのパレード
中央銀座通りでのパレード
第2回は“ふるさと讃歌”、第3回は、“ふるさと万歳”のキャッチフレーズで、小倉球場をメイン会場に、約4万人の市民を集めて開かれた。1976年の第4回からは、「まつり北九州」と名称を改め、より多くの市民の参加を呼びかけるため、小倉城周辺に会場を変え、新たに取り入れた精霊流しが祭りを彩った。 こうした中で、北九州市から市制25周年事業として、「まつり北九州」を主催したいと申し入れがあった。「まつり北九州」をベースに新しい祭りを作り上げ、市のイメージアップを図りたいというのが北九州市の主旨であった。市民の心が一つになるような、新しいふるさとの祭りを作ろうというのが、北九州JCの変わらぬ方針であったので、継続を条件に北九州市にバトンタッチすることとなった。

「わっしょい百万夏まつり」として発展

市制25周年事業(1988年)として新しいネーミングが公募され、「わっしょい百万夏まつり」に決まった。北九州市民がこぞって参加できる、百万人のフェスティバルに成長させたいという北九州JCメンバーの長年の夢がここに結実されることになった。