新九州五街道(history:2006)
時速5kmの視点で道を紡ぐ。
歴史から消えゆく道
紫の川が響の海に注がれんとするところに一本の橋がった。その橋の名前は常盤橋。この橋を起点にして五つの道が九州全土に広がっていた。その五つの道を通じて、火の国や豊の国の様々な物資が、隼人の民の情熱が、そして遠くは漢の国の、天竺の、そして西洋の様々な情報が、この橋のたもとに集まってきた。古くは神功皇后が洞の海に上陸し、和気清麻呂が、菅原道真が、足利尊氏が、豊臣秀吉が、坂本龍馬が、この北九州というまちに出会い、そして通り過ぎている。いまその足跡の多くが埋もれようとしており、また五つの街道も、北九州が日本を工業で支えるまちとして発展する過程の中で、あるところは拡張されバイパスとなり、また工業用地として道が消えていった。北九州市が誇る観光資源
しかし、この五つの街道(門司往還・中津街道・秋月街道・唐津街道)とその道のまわりにある様々な財産こそが、私たちの心の拠り所であり、子供の時に育まれる「地域愛」、「地縁」の原点となるべきだと第54代久岡理事長は考えた。同時に新しいテーマパークではなく、これらの財産こそが、北九州市が誇る観光資源の一つであり、それらの財産を「点」で表すのではなく「線」で結び、歩きながら語りながら、そして味わいながら楽しむことが出来るものに出来るとするならば、どこにもない北九州ならではの宝物になると考えいった。新九州五街道事業スタート
2005 KDS |