1953(昭和28年)創立者:阿部 正男 | ||
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■水害被災者への援助・防疫作業など ■7月2日/小倉青年会議所創立総会並びに発足式 ■11月/北九州五市青年会議所に改名 |
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1953(昭和28年)初代理事長:蔵内 正臣 | ||
北九州にもJCを!修練・奉仕・友情
■水害被災者への援助・防疫作業など |
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1954(昭和29年)第2代理事長:蔵内 康 | ||
1955(昭和30年)第3・4代理事長:段谷 直樹 | ||
■国際親善児童画展(井筒屋) ■在日留学生懇親会 ■ファミリーオプマン写真展 |
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1957(昭和32年)第5・6代理事長:吉村 重喜 | ||
■第12回JCI世界会議参加(東京) | ||
1959(昭和34年)第7代理事長:村上 正 | ||
小倉駅前に祇園太鼓像を建立しよう
■小倉青年会議所に改名 |
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1960(昭和35年)第8代理事長:吉富 徳 | ||
会報を発行しよう・久留米大会・鹿児島大会・世界会議等対外活動を積極的に
■JCニュース発行 |
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1961(昭和36年)第9代理事長:和方 喜代司 | ||
北九州の時流である五市合併問題に突き進むため、他四市JC設立スポンサーとなり、五市の壁を撃ち破るよう、全会益々若き力を結集して向上、奉仕に前進されんことを願う
■市内公立保育園児慰安招待「木馬座公演」 |
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1962(昭和37年)第10代理事長:菊池 國夫 | ||
新市の発展はJCの力で
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1963(昭和38年)第11代理事長:高本 精之 | ||
メンバーの団結を大切にしよう
■五市が合併し北九州青年会議所に改名 |
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1964(昭和39年)第12代理事長:段谷 幹雄 | ||
常に前進的な姿で、この北九州地域経済の正しい発展のため、我々JC諸氏は、その各々の事業を通じ、また、JC活動を通じ努力して行こう
■副理事長を5人に(各区ごとの調整役) |
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1965(昭和40年)第13代理事長:木村 照彦 | ||
「行政に対しても毅然とした態度を」「JCとは自分を磨く場である」
「金を鉛でメッキしよう」 ■アメリカ大使館経済担当参事官との経済懇親会 |
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1966(昭和41年)第14代理事長:恒本 龍 | ||
「子供を交通事故から守りましょう」キャンペーンに協力
海外JCとの国際交流 ■河村順子チャリティーリサイタル(1600人)「歌のお便り音楽会」 |
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1967(昭和42年)第15代理事長:田中丸 善昌 | ||
「国際交流委員会の設置など、国際交流の促進を」
「例会を楽しく面白くする」 ■プラナコーンJCと姉妹締結仮調印 |
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1968(昭和43年)第16代理事長:亀井 昇一郎 | ||
「紫川の浄化運動を行う」
「プラナコーンJCとの姉妹締結を進めうよう」 ■紫川浄化運動(東京ぼん太ショー) |
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1969(昭和44年)第17代理事長:広津 之治 | ||
「市内の河川の浄化をすすめよう」「川も心も美しく」
■JCデー・五政党公開ディスカッション |
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1970(昭和45年)第18代理事長:吉田 潤世 | ||
台北JCとの姉妹締結など、さらに国際交流をすすめよう
■中華民国台北JCとの姉妹締結および両国間経済貿易セミナー開催(台北市) |
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1971(昭和46年)第19代理事長:鶴原 正彦 | ||
よりよいJC活動を通して、個々の自己を磨こう
■JCデー「ある町の高い煙突」上演 |
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1972(昭和47年)第20代理事長:古賀 正邦 | ||
「若者をわれわれの運動の場に」
「われわれが若者の中に」ヤングブルー計画の推進 ■北九州青年の船に協力 |