理事長所信
第66代理事長 大貝 敏之
はじめに
今から30年前、父は、日本から出たことのない小学生の私を、北九州青年会議所(以下、北九州JC)が実施するIFP児童交換事業に参加させてくれました。
当時、日本の生活や文化しか知らなかった私は、同事業における台湾のホストファミリーとの交流を通じて、世界には、日本と異なる文化や考え方があることを肌で感じました。外国の文化や考え方は、とても新鮮で魅力的なものでした。しかし他方で、私は日本とは異なる文化や考え方を知ったことで、改めて私が生まれ育った日本の良さを感じ、「私は日本人なんだ」という帰属意識を強く自覚するようになりました。
その後、私は成人し、北九州JCに入会しました。入会からこれまでの間、私は国際関係の委員会に多く所属する中、国際交流事業でふれ合う海外JCのメンバーは、自国や地域の素晴らしさを熱心に語る方ばかりです。一方、日本人というと、自国や郷土の魅力をうまく説明できない人が多いように私は感じてきました。しかし、私たちは、紛れもなく「日本人」であり「北九州市民」であり、自国や地域の存在は私たちの意識に内在し、私たちの人格を形成しています。すなわち、私たちは、自覚しているか否かは置くとして、自国や地域に対する帰属意識を有しているのです。私たちは、普段の生活の中で、自国や地域に対する帰属意識を自覚することは少ないかもしれません。しかし、市民一人ひとりが、この帰属意識をしっかりと自覚できれば、自身が帰属している国や地域に愛着や誇りが生まれ、自らが所属する国や地域のために考え行動することができるようになります。
北九州市において、まさに市民の地域に対する帰属意識、地域を愛する心から興った運動が、「青空が欲しい」のスローガンで行われた公害克服への取り組みでした。かつて、北九州では、重化学工業を中心に発展し、日本の近代化・工業化を牽引してきました。しかし、その代償として公害のひどい「灰色のまち」と呼ばれていました。工場から吐き出される七色の煙が大気を汚染し、廃液の流れ込む洞海湾は大腸菌ですら生きる事が出来ず、船のスクリューが溶けるほどの恐ろしい「死の海」でした。そんな中、家族の健康被害に悩まされていた、戸畑の婦人会がこの環境を改善したいと思う一心で勇気を持って立ち上がり、産学官民一体となって公害を克服しました。かかる運動はまさに、市民が自らが住み暮らす地域に帰属意識を持ち、「自分たちの地域のために何ができるか」という思いに満ちた行動であったのではないでしょうか。
「北九州市民として、北九州のためにどう行動すべきか」
「日本人として、日本のためにどう行動すべきか」
私は、市民一人ひとりが、帰属意識に基づいた行動規範を心に持ち、利他の精神で生活することこそが、明るい豊かな社会の実現の一助となることを確信しています。
【JCの力を進化させよう】
~地域に必要とされるJCであり続けるために~
北九州JCは、1953年小倉青年会議所として発足して以来、個人の修練・社会への奉仕・世界との友情の三信条に「前向きな行動力とお互いを支え合う心の大切さ」という創始の精神のもと、65年間ひとづくり、まちづくり運動を展開してきました。その結果、公益性の高い事業の実施による先人が作り上げてきた信頼と付託を受ける団体へとなりました。
私たちは、改めて北九州JCの創始の精神を学ぶため、65年の歴史を振り返る必要があります。もっとも、現存する書類で知り得る事は、65年のわずか一片であり、多くの歴史は諸先輩方の記憶の中にあります。65周年を迎えるにあたり、私たちは単に「情報」として北九州JCの歴史を学ぶだけではなく、先輩方との交流で「活きた歴史」を体感することで、私たちの北九州JCへの理解をより深めることが必要であると考えています。そのような体験は、私たちがJC活動の中で躓いたり、迷った時に、私たちを立ち上がらせ、導いていってくれる指針となるのです。
創立から65年間、北九州JCを取り巻く社会情勢は、行動経済成長、オイルショック、バブル経済の成長と崩壊、地域経済の不振と様々に変化してきました。その変化によって顕在化する課題に直面した時、北九州JCは創始の精神に立ち返りながら運動を展開してきました。北九州JCの「今」を担う私たちも、創始の精神を胸に、常に時代の変化や取り巻く環境の変化に対応しながら、このまちの明るい豊かな未来に向け運動を行わなければなりません。
北九州JCは、常にメンバーの力を結集させ、団結力を発揮して運動を展開してきました。65年の運動の成果は、決して個人の力によるものではありません。会員の減少傾向が続く中、私たちはこれまでよりもさらにチームとしての力を高め、チームの力を生かした運動を行わなければなりません。そのためには、北九州JCのメンバー一人ひとりが、北九州JCの持つ組織としての魅力を再認識し、「私は北九州JCの一員なんだ」という誇りを持つ必要があります。
北九州JCは、私たちメンバーに対し、様々な「機会の提供」を与えてくれます。私たちメンバーが、北九州JCからもたらされる「機会の提供」によって得た気づきや学びを、社業や家庭生活、また地域の関わりの中で生かすことが必要です。そうすることによって、私たちの北九州JCでの学びや気づきが、明るい豊かな社会の実現に直結することを確信しています。
私は、自身がJCで体感したJCの魅力を多くのメンバーと共有したいと考えています。私たちがそのような魅力溢れるJCに所属しているという同じ帰属意識を持ち、個の力ではなく、組織として活動することで、真に地域に必要とされるJCであり続けることができると考えます。私たちは、個人の集まりでなく、喜びも苦しみも分かち合う、ひとつのチームでなければなりません。JAYCEEとしての帰属意識と誇りを持って私たちのまち(北九州JC)の明るい未来を創造していきましょう。
~JAYCEEとしての誇りをもって、会員拡大に邁進しよう~
JCの力を進化させるために、会員拡大は不可欠です。全国的に会員減少の傾向が続いている近年、北九州JCも2007年度をピークに会員数の減少が続いています。私たちは、この状況を組織としての最重要課題として捉えなければなりません。
北九州JCでは、伝統的に紹介による入会制度をとってきました。紹介制の趣旨は、私たち既存のメンバーが「この人であれば北九州JCのために力になってもらえる」という方に対し、北九州JCの活動内容や魅力を伝え、それらに賛同できる方に入会していただくという点にあります。このような紹介制度のメリットを生かすためには、まずは私たちが、北九州JCへの帰属意識と誇りを胸に、北九州JCの魅力を堂々と伝えることのできる人材にならなければなりません。私たちが、上辺だけではない、北九州JCの本当の魅力に気づき、他者にしっかりと伝えることができれば、北九州JCの活動内容に真に共感する、志の高い青年経済人が北九州JCの門を叩くことになります。そして、そのような新入会員が、北九州JCでの様々な「機会の提供」の中で自らの魅力と能力を高め、さらに北九州JCの魅力を他者に発信することで、また新たな会員拡大に繋がるのです。「メンバーを増やす」という出口の議論に拘泥することなく、まずは、新入会員を紹介する権利をもつ私たちがJCの魅力を学び、自らも魅了的な人間となって、明日のJAYCEEを探し求めてまいりましょう。
【未来の子ども達の心を育もう】
日本人の精神性として古くから自然に感謝し、先人を敬い他者を慈しむ心を大切にしてきました。しかし、私たちを取り巻く現代社会は、物質的な豊かさを得たものの、心の豊かさは乏しくなるばかりで、自分が良ければそれで良いという、利己主義的な価値観が蔓延し、道徳心の欠如による周囲との摩擦、公共心のない不祥事、青少年犯罪の凶悪化などが社会問題となっています。このような社会問題を克服するためには、次世代を担う子ども達の心の豊かさを育まなければなりません。子ども達の心の豊かさを育むという事は、未来のまちづくりそのものなのです。
心豊かな人格形成には、帰属意識の醸成が必要です。子ども達が、この国、この地域、両親の元に生まれ育まれているという意識を持ち、同じ学校、同じ集合体に属しているという帰属意識を持つことで、同じ国、地域、団体に属している人を慈しみ、他の国、地域、団体に属していることを認める心をもつことができます。国、地域、団体の一員であることをしっかりと自覚した人材が溢れることで、地域活動への参加、地域に根付いた企業による社会貢献活動も確実に増え、それが明るい豊かな社会に繋がっていくのです。
北九州JCの青少年育成事業「北九州ドリームサミット」(以下「KDS」)は、本年で14年目を迎えます。KDSでは、子どもたちがまちの課題を解決するために実際の行動を起こし、検証を行い、その結果を広く市民に発信してきました。本年は、私たちが産学官をさらに巻き込み、KDS議員に対する教育・支援環境を充実させ、KDS議員がより多角的にまちの問題点を考察し、青少年ならではの瑞々しい感性で、革新的な事業活動に邁進できるよう、導いてまいります。
【持続可能な社会の実現に向けた運動を展開しよう】
2017年度に実施した高校生と北九州市議による討論会は、KDSの卒業生が活躍し、嬉しくも頼もしく思える事業でした。彼らのような地域に対する高い志を持つ青少年が今あるのは、彼ら自身の研鑽や保護者や教育関係者の教育の賜物であることは論を待ちませんが、KDSがその一助となっていることも確かです。
KDSの卒業生は、KDSの中で、自らがまちの課題を考え、具体的な行動を起こしてきました。その姿は、まさに「まちのリーダーの卵」というべき青少年です。そのようなKDSの卒業生とその世代が、若い感性とチャレンジ精神を以て更なる運動を行なえる人材に成長させるトレーニングの機会を創出する必要があります。自らが能動的に運動できる方法を学び実践できる人材育成は、北九州のために行動する青少年がまちに増えることに繋がり、まさに北九州が持続可能な都市として、永続的に発展することに直結するのです。本年度は、KDSの卒業生等を巻き込み、持続可能な青少年育成システムの確立に向けた事業の構築を図ります。
【北九州の魅力を市民に再確認してもらおう】
北九州の魅力は、ひびきのコンテナターミナル、北九州空港、東九州自動車道、九州自動車道等の交通インフラの充実、食文化、歴史、自然、「映画のまち」「まんがのまち」など多種多様なコンテンツ、さらには北九州に本社を置く世界規模の企業など、枚挙に暇がありません。にもかかわらず、北九州市民の中には、都会への憧れを持つ人も少なくありません。SNSやテレビで放送されるきらびやかな商業都市としての魅力が、北九州には存在しないと感じているのです。しかし、まちの魅力は商業的価値に限られるものではありません。先に述べたとおり、北九州には、大都市にはない、多種多様な魅力があふれています。そのような北九州の様々の魅力を、まずは北九州市民がしっかり自覚することが重要です。
もっとも、ただ単に、市民に対して北九州の魅力を発見してもらうのは難しいかもしれません。この点、私は、市民の皆様が認識しやすい「北九州の象徴」を創出することによって、北九州の魅力を良い意味でアイコン化して「見える化」したいと考えています。北九州市の魅力を端的に現した「北九州の象徴」を創出することができれば、そのような象徴を通じて市民が北九州の魅力をしっかりと認識し、わがまち北九州に自信と誇りを持つことができるのではないでしょうか。
北九州市民が、「私は北九州市民である」という帰属意識を胸に、北九州に自信と誇りを持つことができれば、市民一人ひとりが「北九州の広報担当」として、北九州の魅力を他の地域、ひいては他の国へ発信することができます。そうすると、北九州の対外的な評価も高まっていきます。北九州が他の地域や他の国から愛されるまちとなれば、そんな北九州に住み暮らす市民一人ひとりが北九州市民であることに誇りを持つことができ、それは北九州に対する帰属意識の醸成に直結することとなるのです。そして、北九州市への帰属意識を高めた市民が、さらに北九州の魅力を対外的に発信していく・・・そのような好循環が確立できると考えています。
【国際交流が活発な都市を創造しよう】
北九州市の多文化共生の取り組みは集住都市と違って問題対応型ではなく、都市の活力を生み出すための課題先取り型です。わが国では人口減少と高齢化が目下最大の問題ですが、今に始まったものではありません。1960年代から相次ぐ大企業の工場移転で人口流出を経験し、また、高度成長期に流入した人口の固定化によって、北九州市はいち早く高齢社会を迎えました。今後、首都圏やほかの大都市が同じことを経験することでしょう。2011年に北九州市が策定した国際戦略のなかでは、「アジアの成長ダイナミズムを取り込んだ地域振興の推進」を目標として「多文化共生」を三本柱のひとつと位置付けています。 国内市場が縮小する中、アジアから人・物・投資・情報を取り込むことは喫緊の課題であり、今後、観光客、ビジネス人材、技術・技能者、国際結婚など海外から流入する人の受け皿として、多文化共生という都市のソフトインフラが絶対条件になってきます。とりわけ、北九州市民の意識啓発、外国人市民の社会参画が重要で、日本人のみを前提とした従来型のコミュニティーから、「多文化共生」の視点での地域づくりが必要となります。
この点、北九州JCは、台湾の台北市國際青年商會(以下台北JC)、大韓民国の仁川富平青年会議所(以下仁川富平JC)、スリランカのウェラワッタJCとの姉妹関係であり、さらには2016年にモンゴルのImpact JCと友好関係になるなど国際交流が盛んな類い稀なLOMであります。北九州JCは、このように活発な国際交流事業の中で、国際的な視野を広げる機会が多くあり、豊かな国際感覚を持ったメンバーも多くいます。そんな私たちだからこそ、「多文化共生」の視点での地域づくりに対し、寄与できることがあるのではないでしょうか。
【相互理解から始まる、心を通わす民間外交を推進しよう】
北九州JCは、台北JCとは1970年から48年間、仁川富平JCとは1988年から29年間、領土問題・歴史問題等、国家間に緊張感があった時期もこの交流は途切れたことはありません。先人たちが“言葉や国境を越えた友情関係”を絶えることなく紡いできたからこそ、今日の姉妹JCとの友情関係があります。私たちは、先人たちが築いてきた、この友情関係を継続していく責任があります。
多くの国際交流の経験から感じたことは、真の国際交流とは、時を共にするだけでなく、互いに自国や地域、そして自らの存在を自らの言葉で語り、相互理解を求めていく試みであると確信しています。国際交流では、積極的に相手を認め、相手を知ろうとすることで、互いに思い、尊敬し合える関係ができるのです。国家主権を超越した友情は、恒久的世界平和に直結します。日本人として、北九州市民として、北九州JCメンバーとして、海外のJCメンバーとしっかりと向き合いながら交流し、友情を育むこと事こそが、民間外交の一翼を担う私たちの責任です。
【おわりに】
JAYCEEとして、
しっかりとした帰属意識に基づいた行動規範を持ち、
北九州から日本を明るく照らすという気概を胸に、共に突き進んでいきましょう。
~共に目指そう!誇りを以て創るまちの未来~
帰属意識を持ち、何をすべきかを考え事業を構築し、ひとつひとつの事業に対し力とこころをひとつにし行う運動は何事も成し得る。北九州から日本を明るく照らすという気概を胸に、共に突き進んでいきましょう。
明るい豊かなまちの実現、「百万都市北九州の再興」に繋げる為に。
●百万一心とは、
「百」の字の一画を省いて「一日」・「万」の字を書き崩して「一力」とすることで、縦書きで「一日一力一心」と読めるように書かれており、「日を同じうにし、力を同じうにし、心を同じうにする」ということから、皆で力を合わせれば、何事も成し得ることを意味しています。
●逸話(ストーリー)「百万一心のはなし」
12歳の松寿丸(元就の幼名)が厳島神社を参拝したところ、泣き続ける5~6歳ぐらいの少女を見つけた。
この少女は母親と巡礼の旅をしていたが、ある城の築城で母親が人柱に選ばれてしまったという。幼い頃に父母と死に別れている松寿丸は少女に同情し、郡山城に連れ帰った。15~16年の年月が経って、元服した元就が吉田郡山城主となった頃、本丸の石垣が何度築いても崩落するので困っていた。やがて、人柱が必要だという声があがったため、普請奉行は巡礼の娘を人柱にすることにした。娘自身も、元就に助けて貰ったお礼として喜んで人柱になると答えたが、元就は「その娘を人柱にしてはならぬ」と厳命。翌日、元就は「百万一心」と書いた紙を奉行に渡し、その文字を石に彫って人柱の代わりに埋めるよう命じた。そして、人柱を埋めずに人命を尊び、皆で心と力を合わせてことにあたるよう教えた。
2018年度運動方針
・JCの力を進化させよう
・未来を担う子ども達の心を育もう
・持続可能な社会の実現に向けた運動を展開しよう
・北九州の魅力を市民に再確認してもらおう
・国際交流が活発な都市を創造しよう
・相互理解がはじまる、心を通わす民間外交を推進しよう