サリーとラン(history:1978)

  象誘致の要請を正式に受ける 北九州市で唯一の動物園である「いとうづ遊園(現:到津の森公園)」で、28年間、子どもたちから高い人気を集め愛されていた、メスのインド象のタイ子が1978年(昭和53)7月5日に息をひきとった。タイ子… もっと読む »

まつり北九州(history:1973)

新しいふるさとづくりを目指した「まつり北九州」 「わっしょい百万夏まつり」のルーツである「まつり北九州」の発想は、1972年(昭和47)公害委員会の会議の中で生まれた。旧五市意識を払拭する、北九州市民が一つになるような全体的な広がりをもった… もっと読む »

IFP【児童交換事業】(history:1970)

台北JCと姉妹JC締結 1968年(昭和43年)、ソウルで開催されたアジアコンファレンス(後のASPAC)に出席した広津之治国際室担当副理事長は、当時の台北JC国際委員長、林福泉氏と偶然出会い、北九州市の状況やJCの活動について意見を交わし… もっと読む »

紫川をきれいに(history:1968)

  「紫川浄化運動」を提案 かつて紫川には、ゴミが投げ捨てられ、悪臭ただよう川だった。その状態を見たら誰もが、個人の力では、とうていきれいにできるとは思わなかっただろう。 1968年(昭和43)、北九州JCの社会開発委員長となった… もっと読む »

小倉祗園太鼓像(history:1959)

存続の危機解消のために生まれたアイデア 現在、小倉駅前のペディストリアン・デッキにある鉢巻き、たすき姿のブロンズ像が、ここは「無法松の地、小倉だ」と、駅を行き交う人に訴えているように見える。祗園太鼓像のアイデアが出た背景には、1959年(昭… もっと読む »

世界へ(history:1957)

  国際交流推進の基本路線を敷く 国際交流の華緒を開く催しとしてあげられるのが、1957年、東京で開催された第12回JCI世界大会に、北九州JC(この当時は北九州五市青年会議所)から10人のメンバーが参加したことであろう。 海外J… もっと読む »

創成記物語(history:1953)

  1953年、40数名でスタート 小倉青年会議所が発足したのは、戦後まもない1953年(昭和28年)の7月2日。メンバーは40数名だった。発足にいたるまでは、当時、商工会議所の事務局長であった阿部正男氏のひとかたならない尽力と「… もっと読む »