対談④ 福地 茂雄 氏

日本青年会議所 JC jc jc ライトダウン わっしょい

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福地会長×松尾理事長対談(HP掲載分)

松尾
まず、福地会長の北九州市に対する思いや、北九州市といえばズバリこれだというのをお聞きしたいのですが。

福地
北九州市は見事に変わったと思います。それも良い意味で変わった。私たちが小さいころは八幡製鐵所。まさに、北九州市といえば製鉄でしたね。あの煙が誇りでした。あのモクモクとした煙のなかでは洗濯物は干せないですよね。今なら「環境汚染だ」と言われるでしょうが、しかし当時はそれで文句を言う人などいなかった。「鉄は国家なり」という言葉ではありませんが、やはりあれが日本の四大工業地帯のなかに自分たちの地域が入っているという市民の誇りだったでしょうね。そういったことにより、北九州市は非常に活性化してきたわけです。時代の変化の移りとともに、そして鉄冷えを含む長い間の苦悶の末に、自動車・ロボットなどを中心とした工業にシフトして強みを活かしてきました。そう考えると見事に変わったと思います。
もう一つは都市構造として、旧5市それぞれの個性を持ったまちになりましたよね。戸畑は住居や文教のまち、小倉は商業・工業のまち、若松は環境のまち、門司はこれから門司港の強みを果たさないといけないでしょう。昔は中国・韓国だけでなくアジア全般の窓口でしたし。これから先はアジアの時代が来るでしょうから、そういった機能を時代がまた求めると思いますよ。

松尾
門司港に関しては、今年はちょうど開港120周年にあたります。

福地
20世紀はまさにアメリカの時代でしたよね。海運の中心は、日本海の交通から太平洋に行きましたよね。海運の中心が太平洋に行くとなると門司港、関門というのが寂れてくるわけですが、しかしこれからはアジア、まさしく日本海の時代ですよ。そうなってくると門司港がものすごく期待されると思いますよ。昨年、アサヒビールの博多工場には年間約15万人の見学来場者がありましたが、そのうち約8万人がアジアからのお客様です。昔では考えられないですね。韓国の人だけで、おそらく一日平均で200人以上来られています。

松尾
韓国からの団体旅行の定番コースになっているのでしょうね。

福地
釜山と博多には、一日何便も高速艇が走っていますよね。何故九州まで来てビール工場に行くのだろうと思うのですが、それほど往来が多くあるということでしょう。それくらい福岡県というのはアジアの玄関口となっていますが、そういった中で北九州市の在り方というのも変わってくるのではないでしょうか。またもう一つ変わったのは、北九州市は『環境』をテーマにするまちになった。かつて北九州市のイメージと言ったら「灰色のまち」であるとか「環境汚染」。そして現在はモノづくりから廃棄物の処理まで、完全に資源循環型の都市になりましたよね。これは強いですね。

松尾
なるほど。動脈と静脈、両方とも揃っているまちと言えますね。

福地
以前、若松の北九州市エコタウンセンターを見て参りました。廃プラスティックを完全リサイクルする。蛍光灯をリサイクルする。自動車が一辺1メートルのサイコロになって出ていく。素晴らしいことだなと思って見ておりました。今の時代は廃棄物リサイクルまで考えていかないと、モノづくりだけではなかなかうまくいかない。どこの工場でもそうですが、廃棄物をどのようにして再資源化していくかが重要課題です。社会全体が循環型を求められるなかで、北九州市は自らのまちのなかでその役割りを果たしていることが素晴らしいと思います。もう一つ大事なことは人材教育です。もともと北九州市というのは人材教育をしっかり行なう地域だと思います。トヨタが北九州進出を決めた時、当時、アサヒビールの副社長だった私は、トヨタ自動車の副社長との対談したことがありました。トヨタの副社長にどのような理由で北九州を選んだのか聞いたところ、「ずばり人材です。特に工業人材です。」と答えていました。北九州市は四大工業地帯の一角を占めていた時代から工業に関連する教育に熱心でした。そのおかげで人材の質が基本的に高い。昔は企業誘致をしようとしたら、土地を用意し、水を用意し、また税制面の考慮など、要するにハードの準備に一生懸命でしたが、今はそんなことは当たり前の時代です。逆に企業が今一番欲しいのは良い人材です。そう考えると北九州市は工業地帯ですし、工業大学がありますし、工業高校はもともと各区にありましたし、工業人材が豊富なのも頷けます。

松尾
確かに市内には『北九州工業高校』一校ではなくて、高専もありますし、工業高校が幾つもありますね。

福地
それと、今から大事なことは、『政』・『官』・『産』・『学』が一体化することです。私はこの4つを『ゴールデンカルテット』と呼んでいるのですが、うまく融合し合ったら、まちは活性化すると思っております。

松尾
確かにそうですね。『ゴールデンカルテット』というものがきちんと一体化したときが、初めてまちづくりも進みだして上手くいくようになるのでしょうね。

福地
今、学校では、そういった地域との関わりを持たせるカリキュラムを作っていますよね。机上だけでの勉強だけではなくて、いわゆる『インターンシップ』などにより、現場に行って勉強をする。北九州市だとロボット会社や自動車会社など、企業のほうから学校に現場を色々と提供できる。そういう意味では北九州市は恵まれていますし、まだまだやろうと思えば幾らでも出来ると思います。ところが、北九州市のように大きな工業や企業がないところは、工業学校を作っても、工業大学を作っても、学校の中ではできるが、現場に入って学ぶことができない。やはり今、現場に入って体感することが非常に大事だと思います。北九州市はこれだけ工業都市としてのインフラに恵まれているわけですから、ますます人材教育に努めていただきたいと思います。そうすれば、21世紀型の都市としてますます発展していくのではないでしょうか。

松尾
極論を言えば、商業都市を作るよりも、工業都市はインフラ整備が大変なので、作っていくのがなかなか難しいと思います。何が大変なのか。その一番が人材教育にあると私も思います。

福地
企業だけ誘致しても駄目ですし、人材教育だけでも駄目ですし。両方があってはじめてうまくいく。相互的にできあがっていかないといけません。北九州市はその両方の素材に恵まれたまちだと思います。

松尾
この北九州市というまちをひも解くと、1901年に官営八幡製鉄所を誘致し八幡の鉄が国家を支えた時代。その代償に起こった、公害という困難な問題を克服した時代。そして世界で類を見ない五市が対等合併した時代。プラザ合意後の厳しい鉄冷えから新しい都市ブランドを構築するためになんとか再生してきた時代。それら全てが先進的であり、他にも今までどこも誰もが経験していないことをみんなで力を合わせてクリアしていったという誇るべき歴史を持ち合わせています。なぜそんなことが出来たのか?やはりそれは先人たちが、個人の利害を超越した精神性、すなわち「公の精神」を持って一致団結してきたからこそ様々な困難を乗り越えてきた。だからこそ今の北九州市があると考えます。先ほどからの人材教育の話などは、その根幹が繋がっているなと思いました。

福地
国家は人なり。企業は人なり。それは言われ続けているけれど、これからはますますそういった人を育てるということが大事です。何が一番大事かというと教育。教育とは教えることだけではなく、知育・食育・体育・徳育のこと。私が通った小倉高校ではよく「文武両道」と言ったものです。知育と体育のバランスをとっていかなければなりませんし、体育となると食育も大事になってくる。知育の前にも食育が大事になってくる。教育と同時に徳育がもっと大事になってくる。そういったバランスのとれた教育をしてほしいですよね。こういう話をすると私はやはり北九州市が好きなのでしょうね。

松尾
会長のそういうお話を聞くと非常に嬉しくなります。

福地
何と言っても祭りに燃えますね。私は小倉出身ではないのだけれど、小倉高校同窓会の関東支部総会では必ず太鼓を叩いていましたよ。

松尾
小倉祇園太鼓の太鼓ですか?

福地
ええそうです。やはり祭りが好きなのですよね。

松尾
我々北九州JCが入居している、北九州市立商工貿易会館というビルが小倉北区古船場町にありまして、昔は天神島小学校という小学校だったのですが、その裏に『無法松の碑』があります。『無法松の一生』の主人公が住んでいたという設定の場所だそうです。夏になると、ビルの周りでトントンと太鼓の音が聞こえて、ああ夏が来たなあとよく思います。

福地
私も7月に戸畑の提灯山笠に行きますよ。

松尾
地元の戸畑に帰られるのですね。お祭りといえば、北九州市には『わっしょい百万夏まつり』があります。

福地
あれは良いですね。

松尾
『わっしょい百万夏まつり』は、もともと『まつり北九州』という名称で我々北九州JCの先輩が立ち上げたお祭りです。

福地
そうですか。やはりJCの皆さんの年代が一番行動力があると思いますから、それがやはり大きく寄与しているのですね。JCのメンバーが中心となってまちづくりを行なうことは非常に大切だと思います。

松尾
市内には文化面も経済面も社会面も含めて、まちづくりを行なっている団体は多々ありますが、全方向に向かい、全市的に活発に行動できる団体というのは、北九州市では北九州JCが唯一だと思っております。我々がしっかり動かないとまちは活性化しませんし、未来にもつながらないと思って、日々の活動にまい進しています。

福地
JCは40歳での卒業という終点があるというのが良いですね。早くやらないと卒業になってしまいますし。

松尾
実は私も今年卒業年度ですよ。

福地
そこがJCの良いところですよ。卒業という終着駅が無かったらズルズルといってしまう。今年しなかったら来年でもいいかなとなりますからね。

松尾
我々JCの組織は一年交代で、1月~12月が一括りで毎年理事長も変わっていきます。会長のおっしゃるとおり最終がきちんと決まっておりますので、いつ何時までに何をしなくてはならないということまで常に考えて行動しなければなりません。

福地
我々もそうですし、JCの皆様もそうでしょうけど、長い駅伝競走みたいなものですね。区間単位がある。区間新記録というのは非常に難しく、一方で襷を渡し損なったらそこで途切れてしまうわけです。マラソンのように自分自身で「もう辞めた」では済まないのです。駅伝においては、自分の区間できっちりと順位を上げて次に襷を渡すという、責任というか義務がある。マラソンは区間が長くしんどいので、自分ひとりの戦いですけれども、駅伝というのはそうはいかない。私の仕事もそうです。NHKの職員だったらマラソンの長距離ランナーだから60歳定年ですけれども、50歳で辞めたって済む。会長の任期は3年ですが、その間にNHKが何も問題なく順風満帆にいけば良いが、そう簡単にはいかない。その間にきちんと片付けるものは片付け、次に襷を渡していくのが大事です。

松尾
普通にやって当たり前のような世界ですから、何かあると逆にニュースが大きくなる。そういったことが続くと、なおのことマスコミも飛びついて変に国民の不安を煽るような報道も出てくる。不信感だけを煽ってしまう。会長としてのその責任は私たちが考えるよりもかなり重大だと思うのですが、どうなのでしょうか?非常に素人的な質問ですが、アサヒビールという民間企業からNHKに入ってきたなかで、ギャップのようなものはございましたか?

福地
判断のものさしが変わる。私がアサヒビール時代は『お客目線』『お客様満足』ということを大切にしていました。これは言葉では簡単だけれども、それに徹するのが非常に難しい。『お客様満足』というのは、言うは簡単、でも実現は極めて難しいものです。今の仕事では『お客様満足』という言葉が『視聴者満足』という言葉に変わっただけ。ビール会社とNHKではB to Cビジネスであるという面では同じですが、個々の業務でみればそれは全然違います。ビールをつくるのと番組制作では違うでしょうし、ビールを売るのと受信料を集金するのとは全く違う。ただ、組織の風通し良くし、職員に元気良く気持ちよく働いてもらい、能力を引き出す、そういった本質的な問題は変わりません。

松尾
なんとなく我々の組織に通じる所がありますね。JCメンバーも一人ひとり会社があって、そこにはお客様がいる。それと同じようにJCにおいても市民の皆様がいる。その相手に対してどのように発信していくのか、意識変革を起こしていくのが我々にとって大事なことで、結局B to Cであるのは間違いない。その本質というのは変わらないと、会長のお話を聞きながらそう思いました。それと民間企業からNHK会長になるにあたって、当然ちょっとどうだろうかと不安に思われた方がいたと聞きましたがそのあたりはずばりどうだったのでしょう?

福地
それはいましたよ。NHK会長職は20年もの長い期間、内部の方がやってきましたから、久しぶりに外部から来るにあたり、賛否両論色々ありましたよ。



松尾
最初が肝心といえば肝心ですね。その効果として、横のコミュニケーションがとれるようになるのでしょうか?

福地
「形」と「心」の問題ですよ。物理的な壁が無くなっても心の壁を取り除かなければ、なかなかコミュニケーションは進まない。縦の組織に横風を入れるという意味で、まず、形を整えてあげる。外から来た人間が横のコミュニケーションが進むように施策を整えてあげる。次に心といいますか、企業行動が組織行動になるまでにはきわめて時間がかかりますから、そういったことを繰り返し教えていくしかないでしょうね。番組作りというのは極めて縦の強い組織で、番組同士のコラボレーションなんてこれまであまり無かった。ただ私が嬉しかったのが、昨年たいへんヒットした大河ドラマの『篤姫』と、『おしゃれ工房』という情報番組のコラボをはじめとして、番組同士或いは社外との連携が現場で現れ始めたことです。『篤姫』の衣装やセットは非常に立派で、それを使って何かできないかと『おしゃれ工房』のスタッフが申し出て、江戸時代の女性のおしゃれや生き方を紹介する非常に楽しい番組を作ったことです。これこそまさに横の番組作りです。縦軸の組織の中で仕事をしていると、いつまで経ってもそんな番組作りは出来ない。一緒になって新しい番組をなんていうことが出来ないのです。

松尾
なるほど。形にとらわれない仕事のコラボレーションのやり方があるわけですね。

福地
以前、凸版印刷株式会社の足立直樹社長にお会いした時に、「電気カミソリというのは、印刷技術からできたのですよ」と言われて、えっ何故?と思いました。小さい刃があるでしょう。あれは印刷の腐食の技術らしいです。またマイクロチップも印刷技術ですよと言われました。印刷には縮小>縮小>縮小の技術がある。縮小・縮小を続けていくとマイクロチップになるらしいのです。数日前にNHKの番組で、石川県の障子や桟や欄間を作る指物大工を採り上げ、そういった地域の伝統技術で、0.1ミリの誤差を機械ではなく、人間の手で無くすという放送をしておりました。しかしだんだん日本の生活が洋風化してきて、そういう障子・桟・欄間などが要らなくなってきた。一方で、お隣の福井県福井市では、メガネのフレームを日本でも長く作っていることで知られ、何か新しい技術はないかと考えていたそうです。メガネのフレームは金属で、その金属の中に手作業で木を埋め込む。これが機械ではなかなか出来ない。これを0.1ミリの誤差をうめるという隣の石川県の指物技術者がやろうと。新しい、そして格好いいと思いました。指物大工とメガネのフレームのコラボで極めて付加価値の高いメガネフレームが出来上がった。そういったことは気が付けば色々あります。全く関係の無い大工が障子や桟を作って頑張っていたとしても、メガネとどう関係があるのかと思う。やはり突き詰めていくとそういうものがあるのです。それはコミュニケーションを良くしていくことによって生まれるのです。これまでの理系と文系という専門の分け方、成り立たなくなってきました。例えば環境科学というのは理系か文系かというとどちらでも当てはまるわけです。これまで全く関係ないと思われたところから新たな関係が生まれたりもする。そういった面で北九州市は、ロボットと自動車と向き合って、さらにITとも向き合って、極めて多様な可能性を持った都市に発展したと思います。例えば自動車だけとなると、もしその産業が冷えてしまったら灯が消えてしまいますから。北九州市の場合は環境産業といった部分を見出しております。これからは環境産業と省エネルギー、そしてエネルギー効率が必ず必要となってきますから。

松尾
そういえば、福地会長はアサヒビールの社長時代に様々な環境経営に取り組まれたのですよね。

福地
最初は1996年、茨城工場で産業廃棄物をゼロにしようということから始まりました。そしてさらに、ゴミをゼロにするには逆にゴミを資源に出来ないのかということも含めて、それは大変でしたよ。切れてしまった蛍光灯をガラス繊維などに資源化するのですが、工場の近隣ではできる業者がない。今は北九州市にもできましたが、当時は北海道まで持っていかなければなりませんでした。電池もそうです。使用済みの電池の中の水銀を分けなければならい。苦労しまたが、廃棄物再資源化100%を達成することができました。今では全工場で同じような事をやっております。現在では、廃棄するより再資源化した方がコストが安くできるようにまでなりました。私はかねてより「エコロジーはエコノミーをともなわなければダメだ」と言ってきました。環境問題に信念を置いても、採算が合わなくなってきたら一時的には出来ても、いずれやめてしまう。先程述べた再資源化の方が廃棄よりもコストが安くなったというのは採算を改善する努力の積み重ねによるものなのです。それから名古屋工場での、環境に有害なフロンガス・代替フロンを一切使用しない『完全ノンフロン化』も非常に大変でした。工場のラインをノンフロン化するというのはまだ出来る。しかし完全にノンフロン化をするとなると、守衛さんがいる守衛室のクーラーなども全てノンフロン化しなければならないものですから、本当に苦労いたしました。また、ノンフロン化も当然初期コストが多くかかりますので、将来のコストダウンのためにコ・ジェネレーションシステムを導入しました。これにより、電気と熱を効率よく利用できるようになりました。また2002年に完成した神奈川工場では、クリーンエネルギーということで、使用電力全体の20%を風力発電で賄うことにいたしました。ただ、神奈川ですから風が来ないのですよ(笑)。風車が回らない。仕方が無いと言う事で、風力発電された電力を買うわけです。『グリーン電力証書』という証書を購入し、自然のエネルギーによって発電された電力を利用するのです。また、熊本県の阿蘇に電源開発株式会社(J-POWER)がつくられた風力発電会社、株式会社グリーンパワー阿蘇という会社がございまして、J-POWERさんが81%を出資、自然エネルギーの普及に協力することを目的に、アサヒビールが19%を出資しております。

松尾
たしか阿蘇俵山にありますよね。見たことがありますよ。

福地
そうです。ただ、神奈川工場の電力全体の20%を風力発電による電力を購入するので、逆に電気代が年間で1,300万円も高くなるのです。そこでエコロジーとエコノミーの共有が肝となるのですが、神奈川工場の使用電力は可能な限り夜間電力を利用することにいたしました。夜間電力は夜間に使うのは当たり前ですが、昼間にもそれを利用する。何といっても工場は24時間稼動しているので、夜間電力をバッテリーに蓄電し、夜は夜間電力で、昼は夜間に蓄電していた電力を使う。これにより、風力発電にかかわるコストを吸収できるわけです。エコロジーとエコノミーが共有した良い例と言えます。やはり人間というのは「窮すれば通ず」ということで、そういった意外な力が出てきますよね。そうした中で、日本環境経営大賞や地球環境大賞 通産大臣賞、同環境大臣賞など様々な賞を頂きましたし、またそれが基で、色々な大学で環境経営の講演もさせていただきました。

松尾
今、北九州市は「世界の環境首都」を目指しております。我々はまさしく「環境首都市民」になるように、それをひとりでも増やしていこう!という運動を行なっているわけですが、福地会長はその一番のリーダーではないかと感じました。

福地
そう言って頂けると嬉しいですね。それと工場から出る廃棄物の再資源化には大変苦労しました。今どこの工場でもそうですし、また博多工場でもそうですが、工場見学の際に案内をする女性の服は全てペットボトルの再生繊維でできています。さらには、工場で働いている社員の制服も同様です。

松尾
皆の回りのすべてのものが今、環境に配慮したものに揃いつつあるわけですね。

福地
元々日本人というのは、モノを大切にする、隣近所をきれいにするという、極めて良いDNAがあるわけです。そこを戻せばいいのですよ。昔は顔を洗う時も、歯を磨く時も、なるべく水を使いまわししていましたものね。 物を大切にしましょう。ご飯を残したらだめですよ。また朝晩には表を掃きましょう。掃除をしましょう。などなど。外国でしたら、マンションやアパートメントが多いので、表を掃くことなんてないでしょうが、日本では必ず我が家の表も掃除したら、ちょっと隣家の方も掃いて水を撒く。これはむしろ徳育ですよね。そういった事は当時当たり前でした。紙は裏表使う。鉛筆がこの位に(短く)なったら、キャップをして使う。今の人達はそこまでしていないでしょ?

松尾
確かにそうですね。

福地
今の人は鉛筆を使っても捨てる際はまだ長いでしょ?私はこの位まで使いますから(鉛筆をみせながら)。

松尾
鉛筆自体を久しぶりに見ました。そこまでしっかり使われるわけですね、我々も見習わなければなりませんね。

福地
子どもの時からの習慣ですよ。日本人にはもともとこういった習慣があるのですよ。しかし今は皆ご飯を残す。食べ残しが多い。食物の廃棄を金額ベースで推計すると、年間11兆円だそうですが、これは考えられないですよ。だからこそ、元々日本人が持っているDNAをもう一度呼び起こす必要があるのです。まちをきれいにする。空気をきれいにする。川をきれいにする。昔は溝の掃除もしていましたよね。そういった省資源、環境美化というものを大事にしなければならないと思います。そのためには、身の回りの事や毎日するような事からコツコツ行なうことが重要です。特別な事からやってしまうと、ある期間までで長続きしないことになってしまいますから。

松尾
日本人の原理原則に立ち返っていくと、そこに行き着くという事ですね。元来の日本人の美徳ということですね。まさしく今我々の行なっている運動が、会長がおっしゃっていることにピタリと重なります。そして北九州市だからこそそのような意識改革のメッセージを発信していかなければならないと思います。我々にはこれまでの経験・歴史を踏まえた上でのバックボーンがありますから、それを活かすチャンスがあると考えます。

福地
北九州市のまちがきれいで、空気がきれいですと、下関市も助かりますよ。空気は西から東に流れていきますから(笑)。ただ、今中国からの黄砂や光化学スモッグ等があるので、北九州市だけで解決できる問題ではありませんが。

松尾
そうですね。JCには日本国内にも世界中にもネットワークがありますので、そういった問題解決に私たちが少しでも寄与できればと思って活動を続けていきたいと思います。

福地
これからもJCの皆さんのエネルギーに期待しておりますよ。

松尾
私は今年の12月31日まではJC理事長という立場ですが、来年度は来年度の理事長が頑張ってくれて、またその次も次もと続いていきます。その間に様々なノウハウや経験や想いなどが蓄積されて、今よりも明日、明日よりも明後日と、もっともっと市民の皆さんにとって良い運動ができる組織へと進化しなければならないと思っております。まずは駅伝ランナーとして襷を次へしっかりと渡せるようにがんばっていきたいと思います。

福地
駅伝の区間単位でどれだけ順位を上げ、襷を次に渡せるかですね。

松尾
はい。私はいつも区間新を狙っておりますよ(笑)。

福地
そうでしょうね。是非とも区間新を狙って欲しいですね。

松尾
これからも福地会長には応援して頂きたいと思いますし、北九州市出身者としても、是非今後ともよろしくお付き合いのほどをお願いいたします。

福地
どうしたら私たちNHKが地域の力になるか、また地域のお役に立てるのかを「放送局のちから」として今年の方針の柱のひとつとしております。そういった面では北九州局ではサッカーチームの『ニューウェーブ北九州』の試合中継を行なっておりますが、地域の活性化のために、放送局としてできることを更に見つけていきたいと思っております。JCの皆様も地域の活性化の取り組みのために、是非NHKを活用してもらいたいと思います。そしてJCの力で、北九州市を元気発進させて欲しいと願います。

松尾
ありがとうございます。われわれのまちづくりの運動を市民に発信していく上で、メディアの力がどうしても必要となってまいります。これは北九州市の弱点だと思いますが、市内には市民に運動を浸透させる為の強力なメディアがないのが現状です。NHKさんの力をお借りできればと思います。

福地
明るく元気な話やニュースが流せるように一緒に頑張りましょう。期待しています。

松尾
こちらこそ福地会長の今後益々のご活躍を、地元北九州から楽しみにしております。今日はお忙しいところありがとうございました。

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