安里会頭×松尾理事長対談(全文)
松尾
まずは、2012年度第61回全国会員大会の主管青年会議所としてご承認して頂きまして有難うございました。
安里
今回は誠におめでとうございます。
松尾
3年間の誘致運動では色々とありましたけれども、なんとかここまで漕ぎ着けたと思います。ただし、10月15日の日本JC理事会での主管青年会議所として決定した時は本当に嬉しかったのですが、そう感じたのはその瞬間だけで、その後は時間の経過と共に、プレッシャーと責任を重く感じております。
安里
仮に他の青年会議所が手を挙げていたとしても、あれだけ成熟させた形で2012年の大会をご提案頂いたことは誇りに思ってよいと思います。
松尾
安里会頭のその言葉が、理事長として一番うれしいですね。
安里
そして仮に何かと比較したとしても、あれ程の精度であれば皆の共感を得ることができたのではないかと思います。
松尾
有難うございます。
安里
全国会員大会というものは、獲得するのも地獄、獲得したあとも地獄ということで、誘致運動そのものも一つの運動ですよね。2012年度の全国会員大会を勝ち獲ったということで、主管青年会議所としてこれからまた地獄が続くわけですが、全国会員大会開催というイバラの道をどう開拓していくかということに尽きると思います。しかし全国会員大会を主管するということは本当に良いものですよ。
松尾
今年の沖縄那覇での全国会員大会に参加したときにそう思いました。全国会員大会を開催する意義というものが非常に分かり易く伝わってきました。言葉にするのは難しいのですが「これなんだな」と。多くの学びと気付きと感動を得ることができました。それをどうやって北九州での全国会員大会で伝えていくかと考えさせられて、逆にたくさん宿題を頂いたような気がします。
安里
私が最も大事にして欲しいのは全国会員大会の誘致理念なのですよ。北九州JCが全国会員大会を誘致する理念というものが主管する立場の者として必ず根にあって欲しい。あとは表現方法の問題ですが、それは2012年度日本JCの会頭所信に基づいたカラーというものを、大会主催者である日本JCと調整を図っていけばいいと思います。そもそもの理念が全く立ち消えになってしまって、結果として違うことをやらざるを得なかったというのが一番の悲劇であって、今ある軸だけは大事にこれからも語り継いで頂きたいと思っております。
松尾
ご存知のとおり、私は昨年、日本JCの全国会員大会運営会議に出向させて頂きまして、第5小会議の委員として沖縄那覇大会の調査報告書作成を担当させて頂きました。沖縄那覇大会に関して、那覇JCさんの資料も全て読み込み、大会の良いところや問題点などについて、実は私が報告書を書かせて頂いたのですが、今年度の沖縄那覇大会の開催理念の柱であった「ゆいまーる」の精神のように、先人から受け継がれていった精神性があるのではないのか?それをどうやって掘り起こしていこうかと、それは決して北九州に無いわけではなく、きっとあるはずだというのを今年、理事長として誘致理念を作る際にまず考えました。今までの全てを一度リセットした状態で3年目の誘致運動をスタートさせて頂きましたが、特に理念に関しては「公の精神」を軸にして大きく変わったと思います。まさしく私にとっては沖縄那覇大会の出会いこそが、北九州での全国会員大会における誘致理念の大きな軸となる「公の精神」が生まれるにあたり、多大なる影響を及ぼしたと言えるでしょう。あの「ゆいまーる」の精神を、安里会頭が那覇JCメンバーとして沖縄県民の立場として、全国会員大会の理念の軸として最初に見出した時のストーリーなどを聞いていると、私的には最高のバトン・襷を渡して頂いたなと思いますし、また何か感慨深いものがありました。
安里
縁や歴史というものはすべて人から始まるものです。ですから、私と松尾理事長との出会い。北九州と私とのこれまでの関係。そして沖縄と九州との関係。これら全てが相まって一つとなり、2012年度の全国会員大会に繋がっていけば良いと思います。本当に皆、期待していると思いますよ。
松尾
有難うございます。自分自身この北九州のまちが大好きですので、3年間という時間をかけて北九州という地層を掘り起こしていたら、そこに「公の精神」という宝物があったという感じなのです。例えば、五市合併にしても、環境・公害問題にしても、言うならば負の歴史であって、市民の劣等感のようなものだったのです。博多のまちは綺麗、北九州は公害。五市合併したけれども、一体感がないということがコンプレックスだったのが、市民のプライドに変わった。それが去年から今年にかけての大きな進化だったと思います。これまでの北九州の歴史は、私たちのコンプレックスではなくプライドなのだと。
安里
今まで瘡蓋のように思っていたものが意外とそこで強くなっていて、自分らしさや個性のようなものが生まれてくると思うのです。特にこれから全国会員大会を誘致して開催するまでのプロセスの中で、様々なまちに出向くと思いますが、そうするといかにこの北九州というまちがまだまだ可能性を秘めていて、わが国の本当の近代国家日本を作っていく上での礎がここに存在し、さらにこれをこれからどうしていくかという課題まで全て見えてくると思うのですよ。僕も沖縄で「ゆいまーる」の精神というものを掲げた時には、その頃は皆それぞれバラバラでしたよ。自らを律するということを考えていった時に、青年会議所という組織そのものもバラバラでした。昔あったこの綺麗な言葉を口にすることに皆酔っていただけで、実際リアルな現状でそれが展開されていなかったのです。だったら僕らがこれをやろう、まずお互いがひとつになろうというところから入り、そしてそれを市民も巻き込んでいこうといった全ての「ゆいまーる」というものを作っていきたいという思いだけで理念を掲げ、十数年行なってきました。
松尾
その話を聞いていただけにその重さが分かります。沖縄那覇大会に行った時はひとつひとつのシーンに対して、安里会頭の言葉の奥にある背景がすごく見えてきました。『なるほどな』と思いました。
安里
今は沖縄の基地問題というものがかなりクローズアップされており、特に日米同盟の基軸がそこに存在している訳です。ですから、今後も国内ではこの沖縄の基地問題というのが、かなり議論されていくのでしょうが、ただひとつ僕らが沖縄那覇大会で明確に伝えたかったのは、沖縄戦というものはすなわちどういう戦争だったのかというところです。今伝わってくるニュースソースでよく国内で議論されているのが、『沖縄は被害者だ』といったようなことです。沖縄の先人たちというのは殺されたのはなくて、戦ったのだというものを僕は伝えたかったので、沖縄那覇大会での記念事業である「平和の集い」を主管青年会議所側からご提案頂いた時には心から嬉しく思いました。「殺された」と「戦った」は違うのですよ。ではなぜ戦ったのかというと、今の子どもたちの笑顔を守りたかった。この国の誇りを守りたかった。この二つの事実だけを僕はお伝えしたくて、沖縄であのような全国会員大会を開催したかったというのもひとつあるのです。北九州は北九州でこれまでの歴史というものがあって、そこで我々現代人が本来知らなければいけないところ、またこだわらなければいけないところ、先程の五市合併の話もそうですよ。今の中心市街地活性化の問題にしてもしかり、全ての部分でそもそもの北九州から今日を振り返った中で、我々が案外語り継いでこなかったものに触れた時、そこから『こんなに良いものなのですよ』と出すことによって、全国の仲間たちが、『実は自分たちのまちにも良いものがあった』ということに置き換え、受け止めてくれると思います。そういう気付きとして、皆に何をお土産に持ち帰ってもらえるかというところを是非これから3年間議論し、総論から各論に落としていって頂きたいと思います。
松尾
今、目の前にある当たり前にあるものが、何かのきっかけによって逆に個性になっていきますよね。それがよく分かったのが今年の誘致理念作りですし、大会誘致運動そのものでもありました。それを今度は、明確に表現する手法まで含めてしっかり議論して、記念事業として昇華していきたいと思っております。次年度の北九州JCの組織では、その記念事業というものをどのような形で捉えていくのかということをきちんと形にしていくために、担当委員会を幾つか作る予定にしております。私自身も大会成功に向けてのバトンは小野次年度理事長予定者には渡せたとは思っておりますけれども、今年主管が決定した時の理事長として、責任はしっかりと持ち、2012年までは卒業できないと肝に銘じて、努力して参ります。
安里
2011年度に名古屋で開催される第60回大会を終えて、そこから一旦リセットして再スタートを切ると思うのですよね。還暦を迎えて次の年というのがむしろ日本JCにとっても一番の勝負処なのです。ですからこの61年目をどう迎えるかというのが、今後のJC運動の可能性につながっていくと思いますので、ただ単なる61分の1の大会ではなく、その大会が持たなければならない意義を今からむしろ逆提案していく位のスタンスで臨んでいただきたいと思います。
松尾
有難うございます。それは良い話を聞きました。まだそこまでは至っておりませんが、そこは私が理事長として年内にできることは全てやりたいと思います。
安里
それから、松尾理事長とは以前から協議しておりますが、究極の問題は「人づくり」。大会成功に向けて役者をどう作っていくというところも戦略的にやって頂きたいですね。
松尾
「人づくり」の問題は一番難しいのですけれども、例えば、日本JCなどへの出向に対する考え方も変わってきておりますし、皆、前向きになっております。また、主管青年会議所として決まったことに対する責任と覚悟というものが生まれてきておりますので、我が北九州JCのメンバーであれば来年以降、間違いなく期待以上の動きをしてくれると思います。
安里
ただ単に北九州JCがやるということでは周りは納得しません。誰がやるのかという「誰」を早急に作ることが一番の課題なのではないかなと思います。(全国会員大会主管を)獲得した人間とやる人間が違うということが課題になってくると思うのです。そこはよく気を付けて頂きたい。やらされたという認識で当該年度を迎えたら悲劇が生まれますから。『僕たちが大会を作った』と誇ってもらえるように、特に後輩に対しては伝えるべきことは伝えていき、あとは託して求めずといった姿勢で、その時の担い手たちがのびのびとやれるような環境を是非作って頂きたいと思います。私も単に今年北九州に決めたということで終わらせるのではなくて、私自身の卒業は恐らく、北九州での大会が終わってからだと思います。決めたという責任がありますから。これかもそういうことを踏まえて邁進していきたいと思いますので、お付き合いの程よろしくお願いいたします。
松尾
有難うございます。会頭としてより大会経験者としての貴重なアドバイスとして真摯に受け止めたいと思います。それでは最後に、ずばり北九州のまちの印象をお聞きしたいのですが。
安里
一言で言うと北九州、小倉というと柄が悪い(笑)。それは抜きとして、工業のまちというイメージが強いですよね。それから、福岡(県)の中でのもうひとつの福岡のような存在で、もうひとつの個性がそこにあるといった感じです。言い方を変えて、悪い表現をすると「光」と「影」。表に出ているのは、「中洲」などといった福岡市のまちの華やかさと、そうではないもうひとつの大きな都市。対極的に僕らは見ていました。だからこそ、今までそれが「影」となっているものが、むしろそうではなくて、日本という国のこれまでの歴史にどれだけこの地が国策として寄与してきたのかというものを表に出していくということが、歴史を学ぶ意味合いでも全国会員大会の開催意義に繋がっていくのではないかと思います。よく言われている「自然をどう取り戻すか」というプロセスをずっと歩まれてきた市民の顔がまた伝わってきたら、より一層皆元気になって全国各地に帰っていくのではないかなと期待しています。
松尾
なるほど。それは「世界の環境首都」を目指している私たちのまちづくり運動を行う上で良いヒントを頂いたと思います。これから2012年の全国会員大会成功に向けて、更に邁進して参りますので、楽しみにしていてください。本日はお忙しいところ有難うございました。
安里
こちらこそ有難うございました。2012年が来るのを本当に楽しみにしております。