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1980年7月、KITA設立される

1980年(昭和55年)7月に、北九州JCが中心となって市民の草の根運動を基盤に、産学官が一体となって設立したKITAは、設立以来20余年の間に、111カ国、3,307名(2003年3月現在)の技術者を受け入れてきた。その半分が、韓国、中国、タイなど東アジアの国の技術者である。設立以来一貫して、近代産業発祥の地である北九州市が蓄積してきた高度な工業技術や環境技術を発展途上国の人々に伝え、技術交流を図ってきた。

KITA誕生のきっかけは、国際製鉄大学構想

北九州JCは1978年9月に、「北九州の産業を考える─雇用機会の拡大を求めて」と題する市民集会を開催。国際製鉄大学構想は、その席で、第26代吉永理事長から提言された。

地域経済浮揚のために何ができるかを議論

第一次オイルショックが1973年に起こって、インフレが収束しないまま深刻な不況に陥った。それ以来、北九州市の地域経済はなかなか回復せず低迷が続いていた。どうすれば不況を克服できるか、また、地域経済の恒久的な浮揚が可能であるかという議論が、北九州JC内部でも活発に行われ、1978年2月には、「北九州の産業経済を考える会」が発足することになる。討論をする中で出てきたものが、明日の北九州への提言となった。国際空港の設置、国際港の機能整備、そして国際製鉄大学の建設が、その提言の大きな柱だった。

事業の実現性を模索

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1978年の市民集会での北九州JCによる、国際製鉄大学の建設の提言がきっかけとなり、北九州JCのOBが所属する経済団体と市民集会当日パネラーとして参加していただいた新日鐵八幡製鐵所副所長を交えて、事業の実現性を模索するための討議を重ねた。この時、北九州JC内部には、産業経済特別室を設置していた。その中で、より具体的で実現できる案として、国際協力事業団(JICA)の国際研修センターの誘致案がでてきた。直ちにJICA九州支部と交渉。
北九州JCは、北九州商工会議所と西日本工業倶楽部に協力要請し、双方から了承を得、岡野商工会議所副会頭を委員長とする国際研修協会設立準備委員会が北九州JCを含めての3団体で発足した。

ますます広がるKITAの事業領域

KITAは、1998年(平成10年)現在、環境(公害克服)技術など約20のコースがあり技術協力全般、受け入れ研修、専門科派遣、技術交流、調査、情報提供、コンサルティングと飛躍的に事業活動の領域を拡大、充実させてきている。

国際親善にも貢献

KITAは、途上国の研修員が北九州市に滞在している間、日本の伝統文化、芸術、歴史、自然風土などを理解していただくために、各種の国際親善交流プログラムを実施している。北九州JCでも、KITA会という名称で、懇親会、お茶会などの催しを行っている。このような市民レベルの交流によって、北九州市民と途上国の人々との心温まる国際親善が、豊かな実を結びつつある。