image

 

西鉄、到津遊園の閉鎖を打ち出す

1998年(平成10年)4月21日、西日本鉄道が1999年の春を最後に「いとうづゆうえん」の経営を打ち切り、67年の歴史に幕を降ろすと発表した。
晴天の霹靂ともいえるニュースに北九州市の街に衝撃が走った。到津に遊園地が開設されたのは、1932年(昭和7)で、西鉄の前身である九州電気軌道株式会社が創業25周年を記念して開業したものであった。その当時は、娯楽もなく周辺に動物園がなかったことから、大変な人気を博した。しかし、1969年をピークに入園者数は下降線をたどるようになる。1998年時点で、飼育している動物の大半を、どこかの動物園に引き取ってもらわなければならない程、経営状態は悪化していた。

北九州JC、存続のための運動を開始

北九州JCは、北九州地区で唯一の動物園である「いとうづゆうえん」を、市民のために存続してもらえるように運動すべきか、一企業の問題に関与すべきではないのか意見が分かれた。議論する中で、「子供たちの教育の場として、また、楽しい思い出づくりの施設として存続してほしい」「自然に近いかたちで、見学したり動物との触れ合いができるような動物園に変わるのなら、残してほしい」などの意見があり、1998年5月に北九州JCとして正式に「いとうづゆうえん」存続の陳述書を提出。さらに北九州JCは独自に、署名運動やアンケートの実施を行い、北九州市へは、西鉄に協議して欲しいと申し入れた。また、その時「動物の引取先探しはしない」ことも併せて申し入れた。北九州JCは7月4日、「動物シンポジウム」を開き、多くの市民にも参加していただいた中で、「未来の市民夢動物園」として、北九州市における動物園のあり方を提案した。この運動も市民を巻き込んで大きなうねりとなっていった。

市民が支える動物園として、開園

image

1998年9月29日、北九州市と西鉄は基本合意書の調印式を行った。その主な内容は、2000年5月まで西鉄が経営を続け、その後、北九州市が森と動物園部分を無償で譲り受け、それ以外の用地を買収する。動物は北九州市に無償で譲渡するというものだった。2002年4月13日、たくさんの市民より「いとうづゆうえん」を存続させたいという熱意が実り、「到津の森公園」が開園した。自然や動物との触れ合いを通して楽しく遊べる場所として、人と動物と自然にも優しい公園として生まれ変わった。その大きな特徴として上げられるのが、自然に近いかたちで動物の観察ができることだ。そのためできるだけ柵を取り除き、動物舎の中に木を植え、床をコンクリートから土に替えている。市民が支える動物園ということで、到津の森公園基金や動物サポーター、そして到津の森公園友の会などの制度が設けられている。北九州JCは、動物サポーター募集に積極的に賛同し、3000口(1口千円)のサポーターを集め、その目録を末吉興一北九州市長に手渡した。また、記念に、桜の木を植樹し、第50代村上理事長は「市民全員参加により、市民のための動物園となることを願っている」と語った。到津の森公園は、これからも市民に安らぎと憩いを与える「市民の森」として、今も愛され続けられている。