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国際交流推進の基本路線を敷く

国際交流の華緒を開く催しとしてあげられるのが、1957年、東京で開催された第12回JCI世界大会に、北九州JC(この当時は北九州五市青年会議所)から10人のメンバーが参加したことであろう。

海外JCとの国際交流をスローガンに

1963年、第11代高本理事長は、JCI台北コンファレンスに参加し、参加した各国のメンバーと交流を深めるとともに、台北JCとの親睦を図った。北九 州JCがスローガンに「海外JCとの国際交流」を掲げ、さまざまな形で海外との交流を始めたのは、1966年となる。国際交流元年ともいえるこの年には、 第14代恒本理事長のリーダーシップのもと、懇親会や座談会、異文化研究など、積極的な事業が行われた。異文化を学ぶことで、自国の文化を再認識しようと いう意識が高まった。

プラナコーンJCと姉妹締結を実現

1967年、第15代田中丸理事長は、国際交流委員会を設置するなどをして、国際交流のさらなる促進を図った。同年5月、バンコクを訪問し、タイ青年会議 所のオパス会頭と会見、姉妹JC締結の仮調印までこぎつけた。姉妹JC締結に関してお互いの意志を確認する段階まで進めていた1967年の事業を引き継い だ第16代亀井理事長は、バンコク・プラナコーンJCとの姉妹締結調印を執り行った。

国際交流の輪が広がる

1970年、第18代吉田理事長は、「国際交流をすすめよう」のスローガンを打ち出し、2月に台北JCとの姉妹締結、4月にはプラナコーン・台北・北九州 JCが、トリオJC締結を実現させた。北九州市と東南アジアとの交流が深まり、8月には台北JCとの第一回IFP(児童交換)が行われた。同年10月、名 古屋で開かれた全国会員大会において国際交流推進最優秀賞を受賞するという栄誉を手にすることができた。尚、1988年5月、北仁川とJC締結を結んでい る(現在の仁川富平JC)。

象の贈与につながったウェラワッタJCとの姉妹締結

1973年4月、フィリピンのケソンで開催されたアジアコンファレンス(現在のアスパック)に第21代林田理事長が参加した際、マニラJCとの姉妹締結を 締結。また、1975年11月、スリランカのウェラワッタJCと姉妹締結を締結。この姉妹締結が、1979年の到津遊園地へのスリランカからの象の贈与に つながるのである。

技術交流を通じて、国際貢献

1978年、第26代吉永理事長は、地域経済の恒久的な浮揚を目指して、国際製鉄大学構想を提唱。これが実学研修構想となり、(財)北九州国際技術協力協会(通商KITA)の1980年7月に設立につながることとなる。

北九州市が誇る祭りも文化交流の一翼を担う

北九州JCは、福岡県と北九州市からの要請を受けて、総勢300人に上る小倉祗園太鼓隊を1981年9月、ハワイに派遣。伝統の祭でアメリカとの友好親善に貢献することができた。

地球にやさしい未来づくりの運動が、ASPAC’92に結実

1988年9月、「(財)北九州活性化協議会(KPEC)」が発足。50年近くにわたって国際交流を続けてきた北九州JCが「地球にハートが生まれる日」をテーマに総力を上げて取り組んだのが、アジア・太平洋北九州会議(ASPAC’92)である。